第12回:「将、功を語らず」

連載トップへ

第12回:「将、功を語らず」

2007年3月22日

松川から課長昇進を事前に知らされてから、大久保は誰にもそのことを言うことが出来なかった。妻の美代子にも言っていない。辞令を貰ってから黙って差し出して驚かせてやろうと思っていたのだが、明日はいつもより1時間は早く出なければならないし、スーツもダークスーツが必要だ。いつものように上着なしというわけにはいかない。

「美代子には、やはり今晩言った方がいいかなあ」などと考えながら、急に嬉しさが湧き上がって来た。


「いよいよ俺も課長だ」

周りに人通りがないのをいいことに、大久保は声に出して独り言を言った。

玄関のチャイムを軽く鳴らすと、いつもなら中からは反応もなく自分で鍵を開けて入るのだが、珍しく美代子がバタバタと出てくる音がしてドアが開いた。

「おかえりなさい。あなた、お祝いって、一体どうしたの?」

「……」

「川田さんて、あなたのところの部長さんでしょう?」

「うん、そうだけど。それが…」

「今日の昼間、大きい胡蝶蘭の鉢植えが届いたのよ。お祝いって書いて。川田さんから。ほら、これ」

「えっ…」

「え、じゃないわよ。ねえ、何がお祝いなの?」

それは、玄関の棚の上に置かれていた。確かに川田からのお祝いである。

大久保は、またしても川田にしてやられたと思った。こういう心憎い配慮が、いかにも川田らしいと思った。松川副社長の報告会の後、川田が大久保の課長昇進を松川に推薦したという一部始終を聞いたとき、もちろん大久保は川田部長の推しを心から嬉しいと思った。

しかし、それと同時に、わずかのチャンスにでもすかさず弾を撃っておく川田のやり方に改めてその凄さを感じた。しかも、その撃つ弾は急所を突いている。そして、当の大久保には、その素振りすら見せない。『将、功を語らず』である。

松川副社長が、「川田もひとがわるいよ」といって大きな声で笑ったのも、川田のこうしたやり口を知り尽くしてのことだろう。川田からのお祝いが届いたと聞いて、大久保は、また川田にやられたと思ったのである。      

 

筆者紹介

東京ロジスティクス研究所
重田 靖男氏

重田靖男 1941年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。
資生堂で、物流開発プロジェクト室長、物流部長、マーケティング本部長を歴任。資生堂物流サービス株式会社社長を経て、株式会社東京ロジスティクス研究所を設立。
現在は顧問として、荷主・物流企業をコンサルティングしている。

【委員】
日本ロジスティクスシステム協会企画開発専門委員長
物流技術管理士資格認定委員および講師
日本物流学会会員

関連書籍のご案内

GoogleAD