第385回:手形ジャンプで再建へ

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第385回:手形ジャンプで再建へ

2012年11月 5日

(赤字がかさむ一方のなか、Aさんはもがきにもがく。が、ついに万策尽き、倒産寸前に追い込まれていく)

──私は半ば倒産を覚悟しました。昭和53年1月5日期日の手形を、どうしても落とせないことがはっきりしたからです。残る手段は手形のジャンプしかありません。私はワラにもすがる思いで日商岩井(現双日)へ駆け込みました。そのとき、日商岩井側から提示されたジャンプの条件は次の三つです。


(1)手持ちの畑地6000坪(両親名義)を売却し、その資金で台湾法人の全株式を買い取ること。
(2)日商岩井から総務部長として一人、営業の応援として二人、計三人の出向を受け入れること。
(3)神戸製鋼から工場長と課長として二人の出向を受け入れること。

 私はこの三条件をすべて受け入れました。受け入れなければただちに倒産ですから、選択の余地はありません。こうして手形のジャンプと人材を派遣してもらい、私は再建に入りました。40歳のときのことです。

 ここですこし労組についてお話ししたいと思います。昭和52年8月、突然労組が結成されたことはすでにお話ししましたが、それからおよそ15年間、平成4年5月に労組が解散されるまで、私と労組は激しい闘争を続けました。今思い返しても、それは長い、不毛な、忍耐を要する15年間だったように思います。

 労組結成当初の組合員は、管理職以上を除いた80人でした。それが上部団体の指導を受け、激しい闘争を繰り返すようになっていきました。

(そこから労使の15年闘争が始まっていくが、それは次回に)

※本記事はこれまでに「物流ウィークリー」本紙に掲載したものです。内容は記事執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。
 

筆者紹介

八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役 野口 誠一
電話番号:03-3835-9510(倒産110番) 
HP: http://yaoki.html.xdomain.jp/ 

野口 誠一 昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。
わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。
平成28年2月18日 東京都内の病院にて逝去、享年85歳。

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