八起会・倒産110番

第311回:6畳2間のアパート暮らしへ

 昭和52年、私は倒産の腹を固め、整理に入った。子どもの数だけあった家、土地、家財道具をいっさい処分し、2億円余りの金をつくり、債権者へ支払った。

 どんなに債務が多くても、2、3000万円ぐらいは残るだろうと思いきや、見事に1円も残らなかった。なかには債権を放棄してくれた取引先もあったのだから、私の会社は瞬く間に債務超過に陥っていたのである。

 25歳で独立し、足かけ22年間経営した玩具会社だったが、私の放漫経営からあっけなく潰れた。時に48歳。無一文になった私は家内と長女(短大)、長男(高校)、次女(中学)の一家5人を引き連れ、6畳2間のアパートへ転がり込んだ。

 それまで11間もある家に住んでいただけに、その狭いこと狭いこと。ちゃぶ台や冷蔵庫など、生活に必要な最低限以外の家財道具はすべて処分した。10台ものトラックをつらね、ピアノや家財を次々に運び去ってゆく。そのときの悔しそうな家内の顔は今もって忘れられない。

 侘びしいアパート暮らしに転落しても、私はまだタカをくくり、甘い夢を追っていた。羽振りのよかった頃、ずいぶんと知人、友人、業者仲間の面倒を見てきたし、窮地を救ったことも1度や2度ではない。そうした間から必ずや、「『専務の椅子ぐらい用意しておくから、うちへきなよ』ぐらいの声はかかるはずだ」と信じて疑わなかった。が、無念なるかな、そういった声をかけてくれる者は1人としていなかった。

 一方、連日連夜の取り巻きだった飲み仲間や遊び仲間も、私のふところが淋しくなったと察するや、潮を引くように去って行った。こうして私は知人、友人はおろか悪友にすら見放されてしまった。金の切れ目が縁の切れ目とはいうものの、それが倒産の現実にほかならない。

筆者紹介

八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
野口 誠一

【野口 誠一氏プロフィール】

昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。
わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。

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