八起会・倒産110番

第304回:「長靴工場」に産業スパイ

 私は東京生まれだが、戦時中は千葉県に疎開し、そこで高校を卒業した。さんざん親に反抗したあげく、19歳で家出して東京へ出た。昼間はアルバイトをしながら、日本大学の夜間部へ通った。その頃、日本もようやく敗戦のショックから立ち上がり、復興のエネルギーがふつふつと世に満ちていた。

 そんな時代の雰囲気は、若者にも影響をおよぼさずにおかない。私は四六時中、「いつまでもこんな食うために働く生活を続けるわけにはいかない」「何とかひと山当てて大金をつかまねば」と、そんなことばかり考えていた。そしてある日、仲間から「長靴が儲かるらしい」という話を聞いた。

 今でこそ雪国へでも行かないとお目にかかれないが、当時は物資不足甚だしく、長靴はおいそれと手に入るような履物ではなかった。そのうえ統制が厳しく、原料のゴムを持っているだけで罰せられた時代である。となれば儲からないはずがない。

 私は即座に「よし、長靴でひと山当ててやる」とハラを固め、ただちに実行に移した。それまでアルバイトをしていたタンス屋を辞め、さっそく長靴やゴムまりをつくっている工場へもぐり込んだ。そして働きながら産業スパイよろしく、工場の隅々まで目を光らせた。

 やがて長靴のつくり方とその工程はほぼわかったが、肝心の原料ゴムのつくり方がわからない。生ゴムに何か黒っぽいものを混ぜてつくるらしい、というところまではわかったが、その「黒っぽいもの」が何なのか、どのくらいの比率で混ぜるのか、そのあたりがさっぱりわからない。
 私は焦った。しかし、一アルバイト学生が尋ねられるような事柄ではない。それが企業秘密に属するであろうことは、私にもうすうすわかっていた。そこで、一計を案じたのだが...。

筆者紹介

八起会 会長
株式会社ノグチプランニング 代表取締役
野口 誠一

【野口 誠一氏プロフィール】

昭和5年 東京生まれ、日本大学卒業。
昭和31年 25歳で玩具メーカーを設立し、従業員5名・月商150万円でスタート。
わずか5年で従業員100人・年商12億円を売り上げるまでに成長させる。
しかし、ドルショックと放漫経営がたたり、昭和52年に倒産。自宅や工場などの全資産を処分して負債を処理し、会社を畳む。
翌53年、倒産経験者同士が助け合う倒産者の会設立を呼び掛け、『八起会』を設立。
弁護士や税理士、再起に成功した会員らが無料で電話相談に乗る『倒産110番』を開設。
再起・整理などの実務的なアドバイスや経験談を交えた人生相談を無料で奉仕している。
昭和59年 株式会社ノグチプランニングを設立し、再起をはかり、執筆活動や全国各地で講演活動を展開している。

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