物流ウィークリーヘッドライン
経営の悪化につれて、当然ながら銀行の対応も変わって参ります。平成6年10月、ついに取引銀行に引き揚げられ、会社の資金繰りは行き詰まってしまいました。
まだ不渡りは出していませんでしたが、資金調達にメドが立たないままでは、1か月後の手形は確実に不渡りとなってしまいます。バブル崩壊という環境の変化に対応できなかった私の責任ですが、倒産必至の状況に追い込まれてしまいました。
悪いときには悪いことが重なるものです。入院していた母親の容体が急に悪化し、あっけなく亡くなってしまいました。私は何もかも嫌になり、通夜が終わった夜、妻に「もうおしまいだ。明日、葬儀が終わったら夜逃げしよう」と言いました。
妻に返事はありませんでしたが、黙々と夜逃げの準備を始めてくれました。そして母親の葬儀が終わったその夜、私は生まれ育った故郷を捨て、夜逃げしたのです。
いま思っても、妻や子どもたちがよく黙ってついてきてくれたものだと思います。そのとき私が48歳、妻は47歳、子どもは男の子ばかり3人でした。たまたま東京に叔父がおりましたので、その叔父を頼って東京へ来ました。
叔父の所に身を寄せて4、5日経った頃、叔父に八起会の存在を教えてもらい、私と妻は上野駅で下車し、八起会の住所を頼りに稲荷町ビルを探しあて、おそるおそる3階まで上がり、八起会のドアをノックしました。平成6年11月9日のことです。
野口会長はやさしく迎えて下さいました。私は会長にすべての事情と状況を話し、助けを求めました。会長も真剣に私の話を聞いて下さり、弁護士の方とも連絡を取り合い、いろいろとアドバイスして下さいました。しかし、会長が最後に下した結論に、私は驚きました。