物流ウィークリーヘッドライン
窮すれば通ずという。棄てる神あれば拾う神ありともいう。倒産駆込寺が倒産寸前に追い込まれたところへ、私に講演の依頼が舞い込んだ。
「倒産者のつどい」などという前例のないものをつくり、ボランティアで「倒産110番」を運営する変わり者がいる、そいつの話を聞いてみようじゃないか、ということだったのかもしれないが、私にとっては天の喜捨、干天の慈雨にも等しかった。
その講演で、私は倒産の現実と悲惨を率直に語った。倒産で苦しむのは経営者だけではない。社員とその家族、債権者も同様である。さらには倒産が引き金となり、離婚や一家離散などの家庭倒産、自殺や一家心中などの人生倒産に至るケースもある。
いわば、倒産は裾野の広い悲劇の源であり、たとえ1件、2件であろうと食い止めねばならない。そのための倒産防止法を、私は自らの失敗例をまじえながら、わが身を反面教師として訴えた。
忘れもしない、そのとき「3万円」の講演料をいただいた。この浄財で事務所の電気・ガス・電話料が払えると思うと、涙が出るほどありがたかった。 それを皮切りに、資金が底を突きかけると講演依頼が入るようになり、そのたびに私はせっせと托鉢に出かけ、その浄財で倒産駆込寺を維持した。やはり「拾う神」はいたのである。
やがてコンスタントに講演の口がかかるようになり、私は自信を深めた。というより、そういうものをさらりと捨てた。もしも駆込寺に多少なりとも存在意義があるとすれば、どんなに困っても神さまが「拾って」くれるはずだ。逆に閉鎖を余儀なくされたら、それはもう「必要ない」ということであろう。
自分はただひたすら、人事を尽くして天命を待てばいい...そのようにハラをくくった。そして30年、八起会はまだ神様に見放されていない。