物流ウィークリーヘッドライン
たった2日間の「倒産110番」イベントだったが、その経験はすっかり私を変えてしまった。不眠不休で体は疲れきっていたが、心は言い知れぬ感動で満たされていた。
無理もない。それまでの50余年間というもの、私は自分のエゴにかかずらうことはあっても、無償で人に尽くす、人の役に立つことはあまりなかったのだから。
多くの相談者が涙ながらに「助かりました」「ありがとうございました」と言って電話を切る。その瞬間の感動と充実感は何ものにも換えがたいものがあった。
私は人さまのお役に立てたことに感謝すると同時に、助けを待っている倒産者や倒産しそうな経営者が、あまりに多いことにもショックを受けた。これは是が非でも「倒産110番」を常設しなければならない。私はそう決意した。
だが悲しいかな、わが家は6畳2間のアパートだ。私がその一間を占領すれば、家族は生活の場を失う。イベントのときも家族は隣りの一間に押し込まれ、昼夜を分かたぬ電話にろくろく眠れもしなかった。
2日ぐらいなら我慢できても、それが毎日となったらノイローゼになるに決まっている。私は喉から手が出るほど「事務所」が欲しくなった。
翌昭和59年、私は「八起会と心中してもいい。やれるところまでやってみよう」とハラをくくった。なけなしの資金に借金を重ね、ようやく上野に小さな事務所を借りた。それがいまに至る倒産駆込寺である。そこに「倒産110番」を常設し、いよいよ念願のスタートである。
ただ、私は当初から、このスタートが見切り発車であることを自覚していた。当時、八起会の運営は、会員の会費(月500円)だけで賄っていた。が、事務所を構えたとなれば、到底それだけで賄いきれないことは明らかだった。