物流ウィークリーヘッドライン
Dさんの経営は赤字の船出となったが、その理由は2つある。1つは、すでにそのときバブルの崩壊が始まっており、気の毒ながらDさんは嵐の海へ向かって船出したと言っていい。経済環境の変化を的確に読むのも経営者の務めだが、当時は誰もそのことに気づいていなかった。それが長期デフレ不況と失われた15年を招いたことを思えば、Dさんだけを責めるわけにはいかない。
2つ目は、同じ地域に塗装業者が乱立しており、過当競争が常態化していたことである。そのことはDさんも知らないわけではなかったが、それまで仕事の途切れることがなかっただけに、気にもとめなかった。が、一人親方の自営業と職人を抱えた会社組織では、受注先も仕事の量と内容もおのずと異なる。
何よりも単価と利益率が格段に低い。そこに過当競争の厳しい現実があった。Dさんはその現実をイヤというほど思い知らされた。会社設立の前にチェックとリサーチを怠ったトガと言っていい。
そこからDさんのもがきが始まる。従業員を遊ばせておくわけにもいかず、赤字を覚悟で仕事を請け負い、みずからも土・日の休みもなく働き続けた。しかし、赤字の仕事をいくら続けたところで利益を生むはずもない。
Dさんの経営は年を追うごとに苦しくなっていく。やがて従業員の給料にも事欠くありさまとなり、毎月のように銀行から借り入れを行わなければならなくなった。
その間にもバブルの崩壊はすさまじく、受注は細る一方。銀行の貸し渋り、貸しはがしが始まり、Dさんはついに街金融にまで手を出すハメに陥っていく。やがて「手に職さえあれば食いっぱぐれなし」「稼ぐに追いつく貧乏なし」というDさんの人生哲学も、一職人には通じても、経営には通じないことを思い知らされる。