第142回:心を晴らした一言

金と影法師は、追えば追うほど逃げていく。

その後もNさんは社歌の売り込み、マルチ商品販売、バッタ屋と、職を変えながらも懸命に働くが、残念ながら、それは社会の底辺をのたうち回ったにすぎなかった。

 そして自信喪失と無気力が同時に襲ってきた。

2か月、3か月と無為に流れていく。働かなければ仕送りどころか、自分の生活さえ維持できないと知りつつも、体と心が動かない。

その間、たった2万6千円の部屋代さえも滞っていく。

大家の催促がうるさいので、朝早くアパートを出て深夜に帰ってくる。

一日中、公園や駅前広場をうろつき、ゴミ箱をあさっては他人の食べ残しで露命をつなぐ。

 そんなホームレス同然の暮らしが数か月続いたある日、Nさんは電柱に貼られた「警備員募集」の広告を見て心を動かされた。

ガードマンなら苦手なセールスも、煩わしい取引もないはずだ、と直感したのである。

Nさんは早速応募し、採用された。これが図に当たった。

タコ部屋を解放されて以来、Nさんははじめて持続可能な仕事に就いたのである。

 Nさんは黙々とガードマンの仕事をこなしていった。そんなある朝、夜勤を終えて帰ろうとするところへ、現場担当者から「ご苦労さん。また今夜も頼みますよ」と声をかけられた。

 その瞬間、Nさんの体をなんとも言いようのない感動が走った。それは、自分のような者でも人さまの役に立っている、世の中の役に立っているという、その感動だった。

夜逃げして以来、はじめて聞く言葉、はじめて味わう感動だった。

 落ちるところまで落ちた人間にとって、自分が何かの役に立っていると思えるほどうれしいことはない。その日を境にして、Nさんのなかで何かがはじけた。

2007年8月21日

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